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「交響曲第1番 HIROSHIMA」の作者 [時事寸評]

である佐村河内氏がこの曲を作曲しておらず、作曲を手がけたのは別人であることが分かり、話題になっている。 「ヴァイオリンのためのソナチネ」も同様、他人に作曲を依頼したものであることが分かった。 6日発売の週刊文春の記事より。 本人はこれを認めているらしい。

佐村河内氏は、広島市出身の被曝2世。両耳が聞こえないということで、現代のベートーベンと呼ばれて話題になっていたのだが、 実際に作ったのはゴーストライターの別人。 6日には本当の作曲者による記者会見が行われた。

テレビの報道では、これらの曲を演奏する予定のコンサートが続々と中止されているというのだが…

ゼロというマンガがある。 ゼロは贋作師だが、作るものは本物と全く区別できないので、それは本物だと豪語する。 鑑定家は誰も見分けられないから、2つの作品を前にして、どちらか偽物なのに捨てることができない。 ゼロは両方本物だといってその場を立ち去ってしまう。

それで思ったのだが、今回の件は、確かに表示と違う人が作曲したという意味では騙しに違いないし、そこには争う余地がない。 しかし、作者が違ったからといって、曲が今日から変わるわけではない。メロディは今までと同じなのである。 今までは被曝二世で耳が聞こえない人が作曲したと思っていたから、素晴らしい、価値がある、そういう音楽が、実は違う人が作曲したと分かった瞬間に、駄作だ、価値がない、などと変化することは、本質的には有り得ないと思うのだ。

しかし、現実の世界はむしろそれが評価として正しいというのも事実である。例えばどんなにゴッホの絵に似ていても、ゴッホの描いた絵でなければゴミ同然の値段しか付かないし、どこがいいのか分からんような落書きでも、それがゴッホの作品なら超高値で取引される。 人間の社会とか評価というのは、そういうものだ。 つまり、芸術作品というのは、その作品そのものの価値ではなく、やはり作った人が誰か、それが決定的に重要なのである。 今回の件は、それを再認識させてくれたという点で、実に興味深いと思う。

少し前に、食品の誤表示が話題になったことがあった。 例えば、イセエビだと表記していたのに違うエビを使ったというのが問題になったのである。 確かに問題なのは否定しないしむしろ肯定しまくりたい気分だが、それを美味しいといって食べていた人たちは何なのだろうか、という所には、どうしても違和感が残る。


タグ:詐称 音楽
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