SSブログ

MSN産経ニュースの「正論」のおかしな論理 [時事寸評]

MSN産経ニュース、11月4日付の「正論」に、「田中文科相 答申否定は裁量権の逸脱」という論評が掲載された。 正論と自称するにはどうも論理的に成り立っていないような気もするので、ここで指摘させていただきたい。

まず、次の主張。

田中真紀子文部科学相が大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、来春開校予定の3大学の設置申請を不認可とした。ルールを無視した判断で、到底認められない。

ルールを無視しているというのだが、そのルールがどこにも述べられていない。 一体どのルールのどこを無視したと主張しているのだろうか?

もちろん、文科相の判断は少なくとも法律というルールには従っているはずである。 大学を設立するには、学校教育法第四条において文部科学大臣の認可を受ける必要があると定められている。 これは、文部科学大臣が認可をする、あるいはしない権限を持つことを意味している。 大臣が認可しないと判断したらそれが正当な結論である。

仮にも日本の大手マスコミの中の一社が、明白にルールを無視したと断定するのだから、もしかすると「文部科学大臣は審議会の判断を覆してはならない」という法律でもあるのかと思って、探してみたのだが、私の力では発見できなかった。 もしあるのなら、誰か教えてください。

不認可となった背景には、審議会のあり方や、判断の基準を見直せという意図がある。 だから、審議会の出した結論と違った結論が出るのは当然のことだろう。

手順を踏み委員の構成を代えたうえで、新しいメンバーによる審議会で議論すべきである。

議論すべきである。そこは否定しない。その通りだと思う。 しかし、まだ終わっていない案件に関しては、それを今まで通りの基準で進める必要はないし、それも、新しいメンバーで議論すべきではないか。

(一応、確認だけど、今回の問題は、文科相が一旦「認可」したものを「不認可」に変更したのではないですよね? まだ認可していない相手に対して「不認可」という結論を出した。 そこが違っていると話がかみ合わないので。本稿はその前提で書いている。 他のブログとか見ると、一旦認可したものを不認可にした、というような書き方をしているものがあったので気になった。 報道を確認しても、審議会が認可という結論を出したが大臣が不認可とした、ということで合っていると思うのだが。)

歴代文科相が任命した現委員による従来の大学設置基準に沿った答申を否定することは、裁量権の逸脱である。

もしそうならば、裁量権というのは一体何なのか? 意味が分らない。 歴代文科相とは違った判断基準があるのなら、その基準で判断するのは当たり前のことだし、その結果が異なるのも当然ではないのか。

今までの基準は適切ではないが、時間がないからokとしろということだろうか?

だとすると、とんでもない話だ。改めるべきと考えるだけの要素があるのなら、それ以前の前提で判断したものは、一旦反故にすべきである。それが大原則だ。

例えば、あくまで架空の例だが、エレベータが事故を起こして死者が出たとする。調査の結果、さらに安全装置を付けるべきだという結論が出た。ならば、過去のエレベーターにも安全装置を付けなければならないそうしないと、また同じ事故が起こって死者が出てしまうだろう。こんな簡単なことが分りませんか?

設置を義務付ける前に作ったからokなどというバカな判断をすればどうなるか、想像してみれば誰でも分るだろう。 このように、何か間違っているという判断をしたときは、それは遡って適用するかどうかを検討すべきことであり、もしまだ認可していないのなら、認可を保留して、どうすべきかを先に考えるべきなのだ。

志望を予定していた学生らのショックは小さくない

それは現実的な問題としては分かるのだけど、文科相のガイドラインには、認可の後に募集を始めるような手順が示されている。まだ正式に認可されていないのに募集する側も責任があるだろう。

田中氏に限らず、民主党政権になって以降、教育行政で問題のある政治判断が相次いでいる。

そこは否定しませんが、田中大臣とは関係ない話だ。 今までそういう状態だったから田中氏を採用したという見方だってできるはずだ。


タグ:大学 正論
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。